夜行列車の思い出

昭和の時代は全国的に夜行列車というのが走っていました。

昨今ではナイトタイムエコノミーなどと呼ばれますが、新幹線が東京-岡山-博多までしか無くて、高速道路も完備されず、飛行機が高根の花だった時代は、遠くへ行くとしたら鉄道しかありませんでした。上野から青森まで8時間から10時間、金沢へも同じぐらいの時間がかかっていた時代は、長時間走れば当然夜になりますし、夜出れば朝になります。
つまり、夜行列車というのは必然的にそうなってたわけで、私たちの世代、と言っても40代から上の年代の人たちは夜行列車の経験がある方が多いと思います。

私が初めて夜行列車に乗ったのは1972年3月。
新幹線が岡山まで開業した直後ですが、当時は小学校6年生になるときの春休みでした。

親戚のおじさんから家族で京都へ旅行に行こうということになって、「アキラ、お前が計画しろ」とのご指名で、時刻表片手に「どうやって行こうか」と考えあぐねました。
新幹線ではあまり面白くありませんから、私は考えた末に夜行列車で行こうと思いました。

当時、東京から大阪へ行く夜行列車に急行「銀河」という列車が2本ありまして、「銀河1号」は名古屋まで紀勢本線の紀伊勝浦の方へ行く「紀伊」と併結していく全車寝台列車でしたが、「銀河2号」の方は、全編成が大阪まで行く列車でした。
そして、その「銀河2号」には寝台車の編成の一番後ろに2両だけ座席車が付いていたのです。

もともと寝台は予算オーバーで乗れませんから、私はこの最後部2両の座席車で京都まで行く計画を立てました。

これが私が初めて経験した夜行列車です。

座席車と言っても自由席ではなく指定席ですから、発売日のひと月前に、いや、一週間前だったかな?。
はっきり覚えていませんが、指定席は今はひと月前発売ですが、それまでは一週間前の発売でしたが、池袋駅西口の日本旅行へ行って、窓口で指定券を申し込んで、硬券の指定席券を発券してもらった記憶があります。

乗車日が近づくとワクワクしながら指折り数えてね。
機関車は青い色のEF58。
スチーム暖房の湯気を吐きながら東京駅を発車しました。

当時、寝台特急はEF65‐500でしたが、急行はEF58。
何だか格下の感じがして、次は「EF65に乗りたいな」と思ったことを覚えています。

そんな私ですから、中学1年生になった子鉄くんにぜひ夜行列車の体験をしてもらいたいと思い、先日夜行列車を運転しました。
若いうちに鉄道でワクワクするような思い出を作ることができれば、きっと30年、いや50年経っても覚えていてくれるでしょうし、そういう人たちが増えれば鉄道が将来に続くだろうと考えたからです。

高校生になると八ヶ岳に行くのに夜行に乗ったりしました。
当時は八ヶ岳に行くのにも夜行列車だったんですが、新宿駅の広場に並んで列車を待ったことも懐かしい思い出です。

先日、夜行列車の後、私のDMMオンラインサロンで会員の皆様方から夜行列車の思い出を募集したところ、たくさんの方からお話をいただきました。
ぜひ皆様方に共有していただきたく思いますので、今夜はご紹介したいと思います。(ご投稿いただいた原文のまま)

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北海道ワイド周遊券で旅していたとき、急行大雪に乗って午前4時台の遠軽で下車して名寄本線の列車に乗り換え、紋別か渚滑か興部のどこかで下りるつもりだったのに、ぐっすり眠って目が覚めたら西興部だったことがありました。寝過ごした!という後悔よりも、ああよく寝た!という喜び(?)のほうが大きかったです。移動のために乗ったのではなく、宿代を浮かすためだったから、お金を払わずに寝られることが最大の価値だったのでしょうね。(札幌 50代男性)

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私の夜行列車初体験は小学6年の時にスキーに連れて行ってもらった時の急行「立山」大阪−糸魚川です。
その思い出もあってトキ鉄の観光急行に乗りに伺っています。次は高校修学旅行で乗った寝台特急「日本海」の大阪−青森でしょうか。
高校時代にはまだ関西からの旧客車の夜行列車が残っていまして、紀勢線の「はやたま」、山陰本線の「山陰」には乗車しました。それほど混んでもいませんでしたのでボックス席を独占出来て快適でした。
大学時代には20系の急行「大山」で松江−大阪にも乗れましたし、シュプール号で糸魚川経由で大阪−白馬って言うのもありましたので、それなりには乗れていると思います。夜行は大好きでした。
でも何故か、「銀河」や大垣夜行には乗れずじまいでした。東海道線が…

まだ多くの夜行列車が走り良い時代でした。

来月ヨーロッパでベネチア−ミュンヘンでNightjetのシングル個室に乗ってきます。(イビキが酷いので個室がMustです)
またケルン−ベルリンはICEの座席の夜行です。
コレはほぼ完徹になると思いますので、ベルリンはヘロヘロだと思います。
(50代男性)

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周遊券体験組の皆様が羨ましい・・・。
自分の夜行初体験は、Mながら→岐阜・京都周遊→M九州→クモハ42→あかつき(レガーシート)→ひかりとオール座席車強行軍でした。
今でも、無理して乗っておいて良かったと思います。
(年齢不明 男性)

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学生時代、20日間有効の北海道ワイド周遊券を手に、東京から、夜行列車で十数連泊していました。
まずは急行八甲田で青森へ。
青森から札幌は、青函連絡船と特急自由席での昼間の移動でしたが、札幌から先は、稚内は急行利尻、網走は急行大雪、釧路は急行まりも、と、夜行急行に乗りさえすれば、翌朝には北海道の各方面に着いていました。
また、夜中に上り下りが交換する駅で、反対方向の夜行に乗り換えて、翌日も同じ場所にいることもできました。
ただし、みんな足を伸ばして寝ていて、座る席がありません。そこで学習したのが、デッキから車内の通路へ入る時、戸を音をたてて開けることでした。
開けた瞬間に車内全体を見渡し、一瞬目を開けてちらっとこちらを見て、すぐに目を閉じる人がいれば、その人は狸寝入りですから、その人の近くに寄って、声をかけて、目を開けてもらって、座らせてもらいました。相手は迷惑そうな顔をしますから、一生懸命、感謝の意を示していたことを覚えています。
今回の夜行列車には乗れず残念でしたが、昔に比べればワンボックス指定は天国ですね。(東京 60代男性)

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人生初の夜行は、1977年・昭和52年7月21日、新大阪発博多行の「明星7号」583系のB寝台下段でした。当時小学4年生。まだ9歳でしたが、これが人生初の一人旅でもありました。その3年前、1年生の夏休みに、家族揃って岡山から博多まで「つばめ」で583系に乗ったことがありましたので、583系の昼と夜の雰囲気の違いに感嘆したものです。「明星7号」では見送りの家族と別れて、夜の山陽本線を電車寝台下段でぐっすり安眠。目が覚めたタイミングでブラインドを明けると、ちょうど厚狭に停車するところ。「あさ」の駅名票は、今でも眼に浮かびます。その後、中学、高校と「周遊券+夜行」で放浪、その経験を活かし大学生時代はシベリア鉄道から欧州各地を「ユーレイルパス+夜行」で縦横無尽に巡りました。ざっと数えて見ると、夜行列車での生涯宿泊数は軽く100を超えていました。最後に乗った夜行列車は、2014年3月、秋田から出張帰り当日に奇跡的にキャンセル分の寝台券を確保できた「あけぼの」です。夜行のバス、船、飛行機(国際線の他、福岡~羽田の「ムーンライト」にも搭乗)を合わせると、人生の中の少なからずの夜を乗り物の中で明かしていることになります。50代後半、まだまだ夜行へのあこがれは変わることはありません!(50代男性)

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高校生の頃、今で言う推しのライヴ活動で各方面に遠征に出てまして、よく乗ったのは急行能登と急行きたぐにでした。

18きっぷで東京に行って、能登で帰るというのが定番でレディースカーの予約を取ると高田に近くなる頃(多分新井くらいかな?)車掌さんが起こしに来てくれました。
レディースカーを取り損ねると、起こしてもくれずに『ここはどこ?』という状態になったことも数回です。
きたぐには新潟市にライヴに行った帰りに必ず乗ってましたが、自由席は満席になりデッキや乗降口に立って新潟~直江津間を耐えてました。
長岡でドアに挟まれたりした思い出も今では懐かしいですね。
(40代女性。地元上越の方のようですね)

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私の初夜行列車は18歳。確か客車の急行銀行83号?名古屋に6時20分頃に到着する列車で新幹線の始発に乗り継いで岡山の友達に会いに行ったことを思い出します。一日遊んで帰りも座席急行銀河の品川行きで戻る。お金を節約したくて0泊3日の行程を平気でやってました。
よってアプリ経県値:186点、社長には及びませんが、日本列島をほぼ制覇出来ました。 60近くになって今も週末は車で直江津を訪ねておりますか、毎回徹夜で向かい朝から行動するのでいつも夜行列車があれば良いのにと思ってます。
能登があった頃に戻りたいといつも思ってます。(60代男性)

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自分の夜行列車の思いでは急行銀河に乗って、始まって3ヶ月しかたっていなかった大阪USJに遊びに行ったことでした。
初めての夜行急行で、東京駅を出発した時にシャツ1枚となり外を眺めていたら横浜駅で帰宅ラッシュのお客さんに見られ恥ずかしかったです。その後すぐに寝てしまいましたが、大津当たりで目を覚まし、大阪まで外の風景を見ていました。今と違い携帯もガラケーなので写真を撮っていなかったのは残念です。本当に貴重な体験でした。
当時付き合っていた彼女が木更津で仕事しており、東京駅に行く途中で合流。東京駅のホームで見送ってくれたのも(奥様には言えない)思い出です(千葉 50代男性)

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みなさん失礼致します。                         私が小学生の頃、ブルートレインブームがありました。その頃、駅の時刻表には早朝/深夜の時刻に急行鷲羽と雲仙・西海の名前もあり、ずっと夜行列車に憧れを持っていました。

2011年3月に東京へイベントに行くため、初めて寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」に乗りました。
ノビノビ座席でしたが、それでも嬉しかった事を覚えています。(50代男性)

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ご紹介するのはごく一部の方ですが、今世の中で活躍されていらっしゃる皆様方の多くは、このように夜行列車を経験されていて、思い出がたくさんお持ちのようで、そういう方々が鉄道に今でも愛着を感じていただいているのだと思います。

この夏は都内から松本、白馬方面へ久しぶりに臨時の夜行列車が走るようです。

鉄道が皆様方の夢と希望を乗せて走る時代は、まだまだ続くと私は考えていますし、そこにローカル鉄道のチャンスがあるのです。